ひまわり

 陽炎が揺らめいていた。
 溶けてふらふらになったアスファルトの向こうにいつかの後ろ姿を見る。それは幻だと知りながら、炎天下が見せる夢に束の間溺れることにした。
 あの年の夏も暑かった。統計的には今年の方が上らしいが、寝ぼけた百葉箱の数値に意味などない。あの夏の方がずっと暑かった。熱かった。体中の血が一瞬にして沸騰してしまいそうな熱、太陽に焼かれた砂を踏んだときの足裏の焦げたにおい。それでも投げ飛ばしたサンダルは、波に攫われてついぞ帰ってこなかった。サンダルを追いかけてまるで入水するみたいに飛び込んだあいつも、あの日は全身ずぶ濡れて風邪をひいただけで済んだが、その年の暮れには向こう側へといってしまった。
 底抜けに青い空が頭の上を隙間なくぐるりと取り囲んでいる。青すぎる、と思う。青すぎて他のものが入り込む余地がない。入道雲さえも遠慮がちに海の上から離れようとはしなかった。
 この青はあいつには似合わなかろう。似合わなさを笑ってやりたかった。日に焼けることを知らない青白い肌が炎天下に溶かされていく様を笑ってやりたかった。
 あの日はずぶ濡れになったシャツを脱がせて絞ってやってから、仏頂面でそれを返すことしかできなかった。だからあいつがどんな顔をしていたか、まるで覚えていない。笑っていたとは思う。ただどんな風だったかは全く覚えていない。目は? 歯を見せていたか? えくぼはあったか?
 覚えていないのは、まともにその顔を見られなかったからだ。あまりに綺麗で、清浄で、見ていられなかった。直視したらどうかしてしまう。この世の全て、あいつの存在以外の全てがどうでもよくなって、戻れないところへ足を踏み出してしまう。そう思って俯いた結果がこの様だ。何ひとつはっきりさせられないまま、あいつの消えた陽炎の先を日時計のように追いかけている。

 海の家の入り口に一輪のひまわりが挿さっていた。コントラストの眩しい鮮やかな黄色に誘われて近づくとそれは造花だった。ビニールの混ざった布地が炎天下をものともせず受け止めている。姿かたちは本物に限りなく近かったが、生の花が当たり前に持つ弱さだけが欠けていた。弱くないことが、造花を造花たらしめていた。
 生き残れる強さがニセモノをニセモノたらしめるなら、先に向こうにいったあいつこそが本物で、俺はニセモノだ。ニセモノは赦されないまま焦がれ続ける。本物が散ったあともビニール製の花弁を太陽に晒して、死ねないまま無様に色褪せていく。
 造花のひまわりを葦簀よしずの間から引き抜いて海に投げてやった。太陽に殺してもらえなかったひまわりも、広くて深い海なら受け入れてくれるかもしれない。本物にしてもらえるかもしれない。そうしたら今度こそ、あの日のサンダルと同じところにたどり着けるだろうか。あいつの元へいけるだろうか。

 眩むような青を見た。陽炎が揺らめいていた。