十二 三月拾二日 - 2/2

 こうして六人は寮を抜け出した。一歩外に出てしまえば、後は妙な高揚感が自然と背中を後押ししてくれた。
 こっそりと辿り着いた裏門は完全に閉まっていた。門限をとうに過ぎているのだ、当たり前のことだった。
「開いてないンなら、越えちゃえ!」
 躊躇いもなく野宮は塀に足をかけた。そのまま蔦や欠けた煉瓦を使って器用に登りきり、あっという間に向こう側に消える。
「……嘘やろ」
 暫しの沈黙の後、いけるよ! と塀の向こうから明るい声が聞こえてきた。
「よっしゃ、もう後には引けん」
 詰襟を脱いで腰に巻き、桝谷が登り始める。すぐ後から身軽な原島が続いて、二人は難なく塀を越えていった。
「いいか、僕は止めたからな」
 苦々しい顔をしたまま、播本までもが塀に手をかける。登り始めてしまえば吹っ切れた様子で、飛び越える瞬間には不敵な笑みを浮かべていた。
 塀の中に残されたのは本江と平野だった。
「……僕は」
 この期に及んで一歩下がろうとした友の手を、本江は半ば反射的に掴んだ。
「いこう」
「ですが、」
「いこう。一緒に、いこう」
 躊躇いを浮かべる濡羽色の瞳を、真正面から見据えた。
「大丈夫、皆がいるから。どこまでいったって、皆が一緒にいるから」
 本江は先に塀に手をかけると、平野が来るのを待った。やがて伸ばされた細腕を、本江は笑って握り返した。さして高くもない塀を越えるのに随分と時間をかけて、それでも着実に登っていった。
 塀のてっぺんで風が吹いた。越えた先では仲間が手を伸ばして待っていた。彼らのいる先へ、二人はぱっと手を離した。

 それは寒い冬の終わりのことだった。気の早い桜が少しずつ蕾を膨らませ始めていた。人気のない細道を、野宮が桝谷の手を引いて走った。残る四人は後ろからゆっくり歩いてついていった。
 家々の灯りから遠ざかった空き地で、六人は揃って空を見上げた。日が沈んでしばらく経った藍色の空に小さな星がひとつ、ふたつ。やがて目が慣れてくるにつれその数は増えていった。
「あっ、今流れた!」
「どこや? 見えんかった」
「東の空をすうっと、、まるで川に落ちてくみたいだった!」
 野宮の興奮しきった声が響く間にも、尾をひいた星がひとつ、またひとつと降ってくる。それは晴天の夜空に舞う粉雪のようだった。
「……おれ、今日のこと一生忘れない。たとえ故郷の星がどんなに綺麗でも、これより何倍も見えようとも、今日の空が一番綺麗だったって、思うよ」
 野宮の声は震えていた。やがて堪えきれなくなったのか、乱暴な手つきで目元をごしごしと拭った。
「卒業できるのは、嬉しいけどさ。……おれ、みんなと別れたくないよ」
 ずっと、このハズレ角にいたいよ。涙交じりに野宮は呟いだ。
「俺もや。……ここやのうてもよかったなんて、今なら言わへん。この学校を選んでよかったと心から思っとる」
 なあ、平野クン。桝谷はそっと平野に目配せした。本江にその言葉の意味はわからなかったが、平野には心当たりがあるのだろう。そうですね、と小さく笑っていた。
「君達は、僕にとって最高の友です」
「やめえや、原島。急にそないなクサい台詞吐いたりして」
「あの駆け落ち事件の日から、ずっと言おうと思っていたんです。君達がいたから、僕は真っ当に生きていこうと思えました」
 見捨てないでいてくれて、ありがとう。原島は照れ臭そうに言うと、くるりとそっぽを向いてしまった。
「同室が君達でよかったと、今なら思う」
「なんや、播本まで。無理してその場の空気に合わせんでもええんやでー」
 茶化した桝谷に、播本は冷たい一瞥を投げる。
「ここで過ごす時間にどうしたら意味を見出せるか、その答えを君達は教えてくれた。そういうことだ」
 決して最高の友だとか、そういう意味じゃない。慌てて付け加えるように言った播本の肩を、桝谷はばしばしと叩いた。

「本江君」
 隣で星を見上げるままに、平野がそっと声を開いた。
「何?」
「ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます。……こんな景色を見せてくれて、ありがとう」
 星を見上げる友の瞳は、星よりも遠いどこかを見つめているようにも思えた。どこまでも先を見通せる心の深さと聡明さを持った友の視線の先は、本江には推し量れなかった。
「何言ってるんだよ。啓が、自分でここまできたんだよ。僕達は皆で一緒にここまできたんだ」
 星を宿した瞳が真っ直ぐに本江を見た。どこか哀しげな色をしていた。
「いつか、描いた夢を失っても……希望の欠片もないと思う日がきたとしても、今日の星空と皆の笑顔だけは、褪せることがない宝物です」
 視線の向こうに、またひとつ星が落ちた。このまま落ち続けたら、夜が明ける頃には空の星の全てが流れて消えてしまうのではと思った。
「啓、寒くない?」
 すぐに冷えてしまう指先を思って、本江はそっと尋ねた。
「大丈夫です、ありがとう」
 今日は皆でいるから、暖かいですね。平野は晴れやかに笑っていた。