花とアリス

『花とアリス』 監督:岩井俊二 2004

 この作品は「対比」がテーマになっていると思う。奥手なように見えつつ大胆な花と奔放なようで繊細さを抱えているアリス、家族との関わりや距離の違い、記憶と心の訴えのどちらを信じるべきか、嘘と本当…全てが対照的なようにも見える二人は、きっと心の奥深くに形容し難い共通したものを持っているからこそ惹かれ合い、互いが一番大切な存在であると認識し合えるのだろう。
 最初に感じたのは、一番寂しいのはアリスだったんだ、ということだ。アリスは花からしてみれば自分よりずっと明るくて元気で可愛い自慢の友達。そんなアリスが宮本の前でふと見せる寂しい笑みや、滝のような雨の中でただ踊る様子は、彼女が実は誰よりも大人でそれ故に哀しい存在であると感じさせた。誰よりもキラキラ輝いているように見えるアリスが実は脆く繊細であることに、無性に愛しさを感じた。こういう強さと脆さを兼ね備えた美しい存在になってみたかった、と思う。そうしたらきっと、今とは違う目で世界を見られただろう。宮本がぼんやりと彼女を見つめている間、彼女は湖の底に沈んだ帽子の幻影を見ていたように、美しくも儚く痛い何かの存在を捉えられたかもしれない。
 私達は付き合っていたんだ、先輩はそれを忘れているだけだという嘘から、花とアリスの二人だけで終結していた関係に宮本が加わり世界が開いていく。嘘の上に危ういバランスで乗っかった花と宮本の付き合い、スカウトされオーディションを受けるも自己表現に迷うアリス、父親との不器用な愛情のやりとり…全てが同時に確実にゆっくりと進んでいく世界で、彼等はそれぞれにやはりこれは間違っているのだ、何かがおかしいという違和感を次第に募らせていく。
 アリスが二人を連れていく偽りの記憶の地は、父親との思い出の場所。こんな風に遊んだじゃない、忘れちゃったの?と笑うアリスがその言葉を本当に伝えたかった相手は、彼女の両親だったのではないだろうか。しかし彼女にとっての幸せだった頃の記憶は、きっと花が宮本についた嘘のように頼りなくその存在を信じきれないものだったのだろう。だから宮本が海岸で見つけたかつてのスペードのエースを見て、アリスは己の愛しい記憶が確かにそこにあったんだという安堵と、今はもう存在しないのだという痛みに泣いたのだろう。
 嘘に嘘を重ね、二人は次第に離れていく。しかしそれは互いを嫌ったからではなく、常に相手の事を想い合っていたからだ。そうして訪れる二人の「解放」の瞬間。花は全ての嘘を宮本に打ち明け、先輩が私を好きだと言ったことはありません、と涙ながらに告白する。嘘を全て捨てた本当の彼女を、宮本は受け入れる。
 一方アリスはオーディションでバレエを踊る。ちゃんと踊ってもいいですか。その言葉には相手に受け入れてもらおうという必死さはない(元々アリスはそのような仮面でもって自身を飾る事はなかったが、これまではどうしたら自己というものを表現できるのか迷い空回りしていたように思う)。
 二人の「解放」に共通することは、ありのまま表現することへの少しの恐怖と、解放した瞬間の喜びだろうと思う。もし受け入れてもらえなかったら、嫌われてしまったら。それでもいい、本当の私を見て欲しい!真っすぐなその想いは、人を圧倒する力を持っている。そしてそれは周りだけではなく、本人達の心をも変えていく。彼女達は自分の力で自身の枷を破り輝く存在となる。二人の世界はこれまで通り二人だけのものであるけれど彼女達はもう一人だけでも立てるから、前のようにそこばかりに入り浸ることはないだろう。それでもそこは二人にとって最も大切で守りたい世界であるのだろうなと思った。
 二人はお互いの家庭事情や宮本への恋心についてを本音で話すことはないのかもしれない。それでもきっとなんとなくその心は伝わっているのではないだろうか、とラストシーンの楽しそうな幸せそうな二人を見て思った。

*壁打ち的な感想やメモ*

  • バレエ教室の聖域的な美しさ。あの場の纏う空気に色を感じるのは彼女達のフィルターがかかって見えている、という演出なのだろうか。
  • 宮本は大馬鹿者なのかとても頭が良いのかどちらだろう。本当は初めから全て分かっていたりして…いやそれはないか。平凡な男子高校生というものは大体あんな感じのぼんやり具合な生き物なのか。
  • アリスが初めてキスした場所、と偽った場所にある本当のエピソードが気になる。キスした場所にするくらいだからきっと特別な何かがあったのではないか、と考えてしまった。
  • 花もアリスも「解放」されるのは光当たるステージの上ではなく舞台裏。それでも彼女達は誰よりも輝いていたし、そんな場所であっても周囲の人の目を捉えて離さなかった。輝くために場所は重要ではないということか。

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 岩井俊二監督の作品は漂うダイヤモンドダストのような淡い光に満ちていると思う。透明すぎないその空気が含んだ痛みや煌めきが観終わった後もしばらく周囲に漂っていて、少し安心したり泣きたくなったりするのかもしれない。