私の男

『私の男』 監督:熊切和嘉 2013

 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』に衝撃を受けて、次に読んだ桜庭一樹の作品が『私の男』だった。というわけで原作小説を先に読んでいる。
 観る前、原作だけのイメージで私は、淳悟を骨と皮だけに枯れた背の高い柳のようなシルエットの男として描いていた。なので浅野忠信演じる淳悟のイメージがどうしてもしっくり来なかったのだが、観終わってこれもこれでいいかと思えた。それだけしっかりと描かれた、強いメッセージを持った作品だったと感じた。
 純粋に人を愛すということがわからない淳悟と、津波で家族を失い幼くして孤児となった花。身を切るような寒さ感じる白銀の世界の片隅に生きる父と娘は、どうしようもない寂しさや空虚感をただ互いの存在でもって必死に繋ぎ止め合う。心が寒くて寒くて仕方が無くて、互いの人肌で温め合う。相手に自身を捧げる事でしか自分の存在を安定させられない二人には互いが自分にとっての唯一の信仰対象で、それなしでは生きていけない。そんな痛々しさが最初から最後までずっとあって、観ていて何度も涙が零れそうになった。
 作品は原作では最後に語られる、花が家族を失うこととなる津波(北海道南西沖地震)のエピソードで幕を開ける。遺体安置所となった体育館に足を踏み入れた花が、見る前からわかっているかのような確固たる足取りでとある遺体の前で足を止め、そっと覆いの下を見て遺体を蹴るシーン。多くを語らなくとも、花のどうしようもない悲しみとそれ故の狂気を象徴する印象的なシーン。
 淳悟との出会い、それは花にとっては突然のものだった。自分を連れて行くという見も知らぬ男に黙って身を委ねたのは、大き過ぎる喪失のせいもあっただろうが、それ以上に見た瞬間に直感がそれと伝える、何か言葉では説明できない繋がりのようなものを感じたからだろう。奥尻から紋別へ向かう途中、船の甲板での二人の姿は、もう既に父と娘のものだった。
 淳悟は「俺はお前のものだ」と言う。お前は俺のものだ、ではなく自分が花の所有物であるという言い方は、持てるもの全てを失った花にとって計り知れない優しさと安心を与えるものだっただろう。その台詞はずるい、と思った。本当に愛を求めて止まない人は自分が相手を愛していい、私が所有してもいいんだという安心が欲しいだろうから。自分が愛しても壊れない相手が欲しいだろうから。
 相手に所有されることでしか自身の存在を維持出来ない者同士の、父と娘という境界線を失った生々しい性愛には捨てられることへの怯え故の相手への依存が色濃く刻まれている。どうしようもなく怖く寂しいことばかりのこの世界を忘れられる瞬間が、熱を交換し合っているその時だけなのだ。失いたくないから貪るように互いの温度を求め、温もりを交換しあおうとする。二人の世界を壊されてしまったら自分がどうなってしまうかわからないから、必死で守ろうとする。互いだけが互いを一番わかっている、自分以外では相手が生きていけないと信じていなければ壊れてしまう。花は自分と一緒に死んでくれる家族を、淳悟は母の姿を互いに求め合っている。
 淳悟の恋人である小町に、まだあどけない、愛の何たるかも知らない少女の振りをして花は近づく。「美人薄命って、言ってみて?」「小町さんじゃ駄目だよ」同い年の友人と楽しそうにはしゃぎ遊ぶ顔の裏には強い攻撃性がある。それは花の武器で、ぞくりとさせる狂気と危うい少女の美しさを持っていた。こういう役をやらせると二階堂ふみは光るなぁ、と思う。
「何が悪い、何したって、あれは私の全部だ!」ーー大塩は正論を言っている、どこかで花はそれをわかっていたのではないかと思う。それでも花には淳悟しかなくて、どうしようもない孤独を埋めてくれたのは淳悟だた一人だった。淳悟が「俺はお前のものだ」と言ったその日から淳悟は花の物で、同時に花は淳悟に自分自身をあげたのだ。真に欠けた心を埋め合わせることのできるのは互いにこの世にただ一人しか存在しないのだと口に出さずともわかる、それこそが紛れも無く同じ血が流れているということであり、互いを”血の人形”たらしめているのだと。
 淳悟は花に自分をあげた、では花は? …本当に脆くて一人では生きていけないのは淳悟だけで、花は包んであげていた、おかあさんになってあげただけだったのだ。少女の中の母性。「私の男」だと言うことで救われていたのは、言われて救われたのは淳悟だったのだと。
 原作と映画のラストシーンは大きく違うが、描かれていないだけで結局最終的な結末は同じだろうと思った。花は自身の中に「私の男」を持ち続けて生きていけるが、淳悟は熱を失ったら最後、消えてしまうだろう。それでもそんな男のおかあさんになってあげたいと思ってしまう、私の中の駄目な部分を花を通じて見ているような心地のする作品だった。私もきっと、私の男と呼んであげたい人をどこかで求めて止まないのだと…それじゃきっと駄目なんだ、と思うけれども。