インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(原題:Interview With The Vampire)
監督:Neil Jordan 1994

2014くらいに名画座でフィルム上映する機会に巡り合えて大喜びで観に行ったときの感想

 まず、この作品をフィルム上映で観られたことだけでとても良かったと思う。所々擦り切れたように交じるノイズは、白く眩しい明かりもない、18世紀の「一歩踏み入れた先の闇」のイメージをありありと浮かばせるのに大いに貢献していた。
 ヴァンパイアものは好きなので(というよかゴス全般が好きなのだが)この作品の他にも色々と観ているが、やはりヴァンパイア自身が己の半生を語る、というこの作品の根幹を成す設定は、物語を展開する上でとても面白く、かつ視聴者を置き去りにしないという点で良くできていると思う。ヴァンパイアの価値観は常人とは一線を画しているので(レスタトがヴァンパイア側の価値観を表す代表的存在だろうと思う)、そればかり見せられても物語に入り込むことは出来ないが、ルイという、人間の価値観でものを見ることが出来る人物が語り手として仲介してくれるおかげで、違和感なく物語の世界に入り込めるのだ。
 さて、作品について。まずはルイ…ルイは人間としての尊厳や生き方の常識と、ヴァンパイアの本能との板挟みとなり苦しみ続ける。その様を「美しい」と表現するところに、ゾクゾクとした言いしれない高揚感を覚えるのは私だけ…ではないと信じたい。『心が嘆きに満ちている。人間の魂を持ったヴァンパイア。死の情熱を抱えた不死。つまり君は美しいんだよ』この作品で一番好きな台詞だ。
 ルイは誰よりも死に焦がれている存在だと思う。それでも死のうとしないのは、太陽に飛び込んだりしないのは、きっといつか、自分と同じ孤独を抱えた寂しい生き物に出会える日が来ると信じているからなのだ。その時の為に彼は200年を生きながらえ、この先も生きていくのだろう。たかが3、40年生きただけのインタビュアーには、伺い知ることすらできない、途方もない孤独を抱えたまま。
 次にレスタトについて…彼はこの作中での、正しいヴァンパイアの在り方を体現している人物である、と思う。不老不死を喜び、人間よりも崇高な存在であると豪語し、贅沢を好み夜を愛する。彼は寂しい存在であるルイに、人間では知り得ないそれらの喜びを教え、共に分かち合える仲間にしようと必死になるのだ。その姿にはルイと同じ悲しみが見え隠れしている。しかし彼はアーマンド言うところの「初心を忘れてしまったヴァンパイア」だ。そのせいでルイとの間に生じた溝はもはや埋めがたく、彼は破滅の道を辿ることとなる。
 ルイが死に焦がれる存在だとすれば、レスタトは生に焦がれる存在だ。たとえ彼の美学に反するとしても、生きるためならばどんな醜い手も使う。そこにはルイと同じく、何としてでも時代に食らいつき、生きていこうという執念がある。そうして喉元過ぎれば熱さを忘るる、彼はどこまでもヴァンパイアらしく、享楽に浸って生きていくのだろう。なんと調子の良いことか…しかしそれもまた、美のひとつの形であると思うのだ。
 クローディア…クローディアの美しさは、幼さ故の残酷さと天使のような愛らしさを共に持っているところにある。不老不死であるということは衰えないことであり、逆を言えば成長しないということでもある。彼女の苦悩から、ヴァンパイアは肉体の永遠性に精神の老成が耐えきれず自滅してしまうのだとわかる。最も辛く哀しいのは心に見合った肉体を手に入れられないこと、それによって大人たる扱いを受けられないことなのだ。
 彼女にはもうひとつ、母親の愛を欲するという苦悩もある。心の、母親を求める部分だけは永遠に幼い少女のまま。そのアンバランスな様相がまた美しい、とされるのだろう。この作品のヴァンパイアはつくづく哀しいいきものだと思う。

 物語のラスト、レスタトはマロイの血を吸い再び力を取り戻す。彼のあっけらかんとした陽気さと、カーステレオから流れ続けるルイの悲しき独白。レスタトはそれを聞き飽きたとあっさりロックミュージックに変えて、ネオン輝く現代の夜の町に消えていくのだ。
 レスタトとルイ。日々発展し変わっていく世界の中で生き延びてきた彼等はどちらも美しく孤高の存在であると思う。しかしどちらがより魅力的かと言われれば、私はやはり誰にも理解されぬ孤独をひとり抱えてこれからも闇の中を生きていくのであろうルイを選んでしまうなと思った。