オール・ユー・ニード・イズ・キル

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(原題:Edge of Tomorrow)

監督:Doug Liman 2014

 生と死を繰り返しながら段々と力を得ていく主人公像は正にゲームの様な世界観で、超能力を持った人間が次から次へと現れるアメコミ映画と比べると人間の学習能力の底知れなさやそこへ至るまでの葛藤に焦点があてられているので、ありがちなSFアクション作品とは一風違った魅力があると思った。
 最初の死以降ループ能力を手に入れたケイジが戦闘の仕方や敵の位置や行動を一つ一つ覚えていく様子は、RPGのレベル上げと全く同じだ。しかしRPGには最終的なボスが見えているが、この時点のケイジにはそれを掴む事すらできない。そこでケイジはループ能力を、まず仲間の命を救うために使いつつ自分も生き残る術を探し始める。そしてある日美しき女戦士リタにループ能力を気づかれてから初めて自身の能力の真実と倒すべき存在=オメガの姿を知り、明確なレベル上げを始めるのだ。
 「何度も同じ日を繰り返す」という設定上、毎回変わらないシーンの繰り返しとなるので飽きそうなものだが、ケイジの言動によって少しずつ進展を見せたり、先に待つのが同じ死であってもその原因が変わったりと面白い。また延々とループを繰り返しいい加減死にも慣れてしまったケイジの”いいよ、死んでリセットするから”といった、大胆かつどこかコメディタッチな描写も不自然に重くならないのでよい。またここでの”死の軽さ”が、後のストーリーの重さを引き立てるのだ。
 ループものにつきものなのが”愛する人の死を何度も繰り返し見続けることで精神崩壊する”というやつだが、この作品でも上手く表現されていると思う。何をどうしてもリタを生かす事が出来ないと悟ったケイジは、リタに己がループ能力を持っていると気づかせる事をやめ、一人決戦に挑む。
 結局、今まで掴んでいた情報は全てオメガの作戦だったという事に気づいたケイジは、再びリタと共に真の敵の居場所を探り始める。しかしその途中の失敗によって、彼はループ能力を失ってしまうのだ。もう死んでリセットすることは出来ない。今までの知識と経験だけで未知の領域へと踏み出さなければならない状況の中、彼が頼ったのはJ部隊の仲間達。彼にとっては何度も繰り返し出会っては別れてきた戦友達、しかし当の彼等からすればケイジは今日出会ったばかりの脱走兵なのだ。それでも必死に伝えようとするケイジを彼等は信用し、決死のパリ行きを決行する。仲間の血路を開く為犠牲になる彼等や、その死を無駄にしないためにも突き進むケイジの姿は、前半の死の軽さがあってこその輝きを見せる。
 ついにオメガとの決着の瞬間が訪れ、ケイジはオメガと相打ちになりギタイは死に絶え…というところまできて、再びループが発動する。目覚めたのは最初のヘリの中で、敵は既に死滅した世界。今度は脱走兵に仕立て上げられる事なく基地を訪れたケイジはリタと再会し…
 ここで気になるのが、最後のループは誰が引き起こしたか、ということだ。最初に得たループ能力は、アルファの血液を浴びる事で得たオメガの擬似的なものだった。とすると相打ちの瞬間オメガの体液を浴びたケイジは、今度はオメガ自体の力を手に入れたのでは?と思う。しかしそれでは最終的にケイジが至った世界にいたはずのオメガは何なんだ、という事になるのだが…パラレルワールド的に世界線がいくつもあるとして、ある世界線でオメガを倒したケイジはその世界の次のオメガとなり、そのオメガ=ケイジをまた別の世界線からきたケイジが倒し…という延々ループの物語である、なんて想像も出来そうだが、どうなのだろう?
 こういうアクション系の作品は普段あまり見ないのだが、この作品はSFとしての設定が面白かったので、観終わって清々しい気持ちになれました。