短編 終りなき夜に - 1/3

 いつの間にやら話題は好みの女のことになっていた。曰く、デカいのは尻がいいか胸がいいかそれとも態度か。この間も全く同じ話したよな? と冷静になるのが馬鹿らしくなるほどに何度でも繰り返している。あと数杯アルコールが追加されるとより深まってセックスの話になるのも見え透いた未来だった。
 聞いているんだかいないんだかわからないままに(恐らく後者だ)、コートのポケットから文庫本を取り出すこいつの態度もいつものことだ。あからさまな無関心あるいは拒絶の姿勢。普通ならなんとなく場の空気が悪くなるところだが、そうさせないのがこいつの密かなる才能だと思っている。「こいつはもうそういうやつだからしょうがない」という気分にさせる天才なのだ。なんなら悔しいことに様になりすぎていてちょっとかっこいい。顔のいいやつはそれだけで重罪だ。無意識ではなく、自覚的に振る舞ってこうだから尚のことタチが悪い。育ての親の影響も相まって、印象操作の才はずば抜けていた。俺だけは騙されない絶対に、そう固く誓いながらも敢えなく翻弄されて早幾年。
 こいつが興味を抱く話題は音楽、コーヒー、たまに海外文学。黒髪がいいかブロンドがいいか、DカップがいいかEカップがいいかなんて話には、相槌はおろか視線さえ寄越さない。ふざけて無理矢理に話を振っても、淡々とした調子で俺にはわからないと返されるのが精々だった。こいつも人の子、さらに言えば男なのだから、本能的な衝動のひとつやふたつ当然にあるだろうに。こいつの態度を見ていると、たまにおかしいのは自分の方なのではないかと思えてくる。
 ヘラヘラと気まぐれに馬鹿をやったり衝動のままに人を殴ったりしながら今日までなんとなく日々を消化してきた自分と違って、こいつには明確な目的があった。生きるための目的なのか、死ねない理由なのかはわからない。なんにせよそれに向けて動くときだけ、こいつの目は強い熱を帯びた。何事にも興味を抱かなさそうな瞳に、仄暗い興奮と殺意が浮かぶ瞬間。それを一度ならず二度、三度と目にしてしまっただけでなく、うっかり美しいだなんて思ってしまった日から、俺の中の何かがすっかり狂ってしまったのだった。
 こいつは人を狂わせたことなど露知らず、長ったらしい横文字のタイトルの本に目を落としている。それが無性に腹立たしいのだった。
 他の奴らは勧めずとも飲むわ食うわ騒ぐわでどちらかといえば黙らせたいくらいだが、こいつは放っておくと自分の世界に閉じこもってしまう。
「今日は飲まねえの」
 そろそろ飲み尽くされるぜ、とぬるくなり始めた瓶を指したが、いらないと首を横に振られた。始終こんな態度だから、よくつるむ相手以外には下戸だと思われているようだが、少人数ならこいつはそこそこ飲む。多分酒が嫌いなのではなく、騒がしいのと下世話な空気が嫌いなのだ。
「何読んでんだ」
「言ってもお前はどうせ知らない」
 あまりにも素気無い返事に、暇潰しに話しかけたことを後悔しそうになった。
「そんなの言ってみなきゃわかんねえだろ」
 うんざりとした溜息とともに返された言葉は、案の定本のタイトルなのか作者なのかもわからなかった。ほらみろ、という顔をして蒼月は活字の世界に戻ってしまった。クソ憎たらしいことこの上ない。
 出会ってかれこれ四年が経つ。十二と十四だったクソガキはそのまま十六と十八のクソガキに成長した。性格も思考も何もかもが違うこいつと、どうしていまだにつるんでいるのかたまにわからなくなる。明確な理由はないが、なんとなく波長が合う。そう思っているのはもしかしたら俺だけなのかもしれなかった。
 下世話な話が盛り上がったせいで、輪から外れた蒼月のことをしばらく忘れていた。
 ふらりと立ち上がったのを目の端で捉える。声をかけようと口を開きかけた途端に酔った仲間に勢いよく肩を掴まれてタイミングを逃した。
 どこへ向かうと告げることもなく、蒼月はコートのポケットに両手を突っ込んだまま路地の向こうへと姿を消した。本を置いていったのを見るに戻る気はあるようだが、その態度になんとなく妙なものを覚えた。ほとんど勘に近いそれは、言葉にするのも迷う程度の僅かな違和感。
 あいつ、なんとなくさっきからずっと調子悪そうだったな。
 背中を掠めたもやもやは、すっかりアルコールの回った奴らの大声のせいであっという間に散り散りになってしまった。もうガキじゃあるまいし、帰りたければ勝手に帰ればいい。そう思い直して忘れることにした。