いたく上機嫌な医者はこの日何度目かの「よくやった」を口にした。
「突然発送者不明の大量の荷物が届いたときは何事かと思ったが、中身を見た瞬間に悟ったよ。どこぞの医者相手に相当ふっかけたんだろ?」
功労者たる当人は素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいる。珍しく本気で褒めてやっているのだから、少しくらい誇ってもいいだろうに。
「麻酔薬、抗菌薬、その他諸々おまけに輸液類まで揃ってる。お前、いつの間にこんなに知識つけたんだ? 的確なオーダーに加えて量も申し分なし。これで安定的供給まで求めるのは罰が当たるってもんだ。文句なしだよ」
「ご満足いただけたようで何より」
返ってきたのはあからさまな愛想笑いだった。あまり身体の調子が良くないのか、それともただ不機嫌なだけなのかはよくわからないが、相手にするのが心底面倒だと顔にはっきり書いてある。……用を済ませたらさっさと帰れとも。
「そいつを使って早速仕事をしてやる、傷を見せろ」
聞くなり無言で席を立とうとした蒼月を引き留める。こいつの医者嫌いもそろそろどうにかならないものか。
後ろ暗い理由や人に明かせない理由を抱えたまま治療を求めてくる患者を診続けているうちに、無駄な観察眼ばかりが鍛えられてしまった。
こいつの顔色が良くないのはいつものことだが、ふとした瞬間に目眩を堪えるようにしばらく目を閉じるのは看過できない。恐らくかなり血を失ったか、長く痛みの残るようなことをされたか。何をどうしてこうなったかまで詮索する気はないが、また面倒事に巻き込まれた(か、自分から進んで首を突っ込んだ)のだろう。普段から色々と依頼している手前、少なからず責任は感じていた。
「怪我してるのなんか反応見てりゃすぐわかる。隠してるつもりなんだろうが、庇って動いてるのが丸わかりなんだよ。どうせお前のことだから、熱さえ引けば後は放置だろ」
平気な顔を取り繕って動けているくらいだからそこまで深刻でもなさそうだが、蒼月の場合は他の不安要素が多すぎた。
こいつが自分で思っている以上に、自由に動ける残り時間は少ない。しかしそれを正直に伝えたが最後、彼は残りの時間全てを一瞬に注ぎ込んで終わる道を選ぶだろう。自分が生き延びることよりも大切なものを得てしまった人間ほど、何をしでかすかわからないものはない。
「別に、大したことはない」
「お前のそういう反応は大抵ロクなことがない、いいから――」
基本的に許可なく体に触れないようにはしているが、慣れている相手であるし、腕を掴むくらいは問題ないか。そう思って手を伸ばした。
蒼月もその動きは予想していたのだろう。最小限の動きで軽く身を引こうとして――ふいに呻き声をあげた。
「! ッう…っ」
また発作を起こしたのかと思ったが、どうも様子が違う。
「お前、それ肋骨やってるな」
しばらく声も出せずに苦痛を噛み殺すのを見て、思わず溜息を吐いた。
「……折れたもんは仕方ないだろ」
ようやく呼吸が通るようになったのか、蒼月は掠れ声で言い訳がましく呟く。仕方ないじゃない、怪我するような真似はするな。そう説教してやりたくなったが、どうにも勢いを削がれてしまった。
「いいから診せろ」
案外素直に応じてくれた。バレたからには開き直るつもりらしい。
薄く骨の影の浮いた体には、あちらこちらに古い傷痕が刻まれている。大半は彼が十代の頃、手加減というものを知らないどうしようもない師範に無茶な鍛えられ方をされてつけられたものだが、その他にも消えない火傷痕やケロイド状になったものもある。
表通りから遠ざかった世界で長く医者をしていると、わりと見かけることの多いものだ。暴力の絶えない環境で育った子供は、心と身体に残った傷痕の数だけ傷つけられることに慣れてしまっている。理不尽に虐げられることに疑問や怒りさえ覚えなくなっている。そして運よく大人になれれば、今度は当たり前に別の誰かを暴力で支配するようになるのだ。
「蒼月。もうこれ以上危険なことに首を突っ込むのはよせ」
彼等を殺させたくない、と思う。蒼月だけでなく、暴力と不平等を当たり前のことだと思っている子供達全てを生かしてやりたいと思う。思うだけで何ひとつ行動に移せない自分が情けなかった。
彼等はただ、他の世界を知らないだけなのだ。教えてやるのは、大人の役目だというのに。
「別に足を洗えとまでは言わない。言える立場じゃない、俺も結局日陰者だしな。でもな蒼月、お前の頭と要領の良さがあれば、もっと上手く生きて――」
「説教しにきただけなら帰れ」
蒼月は苛ついた声で遮った。今更何を言われても手遅れだ、そう言っているようにも聞こえた。
「上手く生きるとか価値のある生をとか、正直反吐が出る。その基準を決めたのは一体どこのどいつだ? ……俺は他人の決めた価値では生きてやらない」
人より短いのなら、なおのこと。蒼月はそう言うと、深い夜の色をした瞳でどこか遠くを見つめた。
彼の見ているものは、彼にしかわからない。
「そういやお前、自分のための薬も報酬に加えただろう。こんなもの使うのはお前くらいだから、礼代わりに全部持ってきてやった。運送代はまけておいてやるよ」
これが主目的でわざわざ出向いたというのに、彼の気迫と機嫌の悪さに気圧されて、危うく忘れてお望み通り帰るところだった。
それにしても、この薬品類を揃えた相手はよくもまあここまで専門的なものを短時間で手配できたものだと思う。大病院の勤務医か、多方面に顔が利く開業医か。なんにせよ大枚はたいてでも蒼月と取引しようとする奴だ、どうせまともな人間ではあるまい。
「いいか、くれぐれも濫用はするなよ。……蒼月? どうした」
自分で頼んだものだろうに、蒼月は驚愕に目を見開いていた。
「――言ってない」
「あ?」
「薬を報酬にと寄越した奴に、俺はこの身体のことを一言も話してない」
