半生半夢 - 1/2

 やけに静かな日だった。
 明かり窓のない、昼も夜も変わらず薄暗い白熱灯に照らされている地下室に、外の喧騒はほとんど届かない。派手な撃ち合いでもあれば話は別だが、八十年代の香港マフィアでもあるまいし、そんな馬鹿げた事件はまず起こらないだろう。……派手ではなくとも、今日もまた自分のあずかり知らぬどこかの路地裏や廃屋で、不運な誰かが物言わぬ骸と化しているのかもしれないが。
 それにしても静かな夜だった。換気扇の下で、真っ直ぐに立ち上る紫煙を無感動に視界に流しながら、ふと今宵は虫の鳴き声がやけに耳の奥にいつまでもこびりついて離れないと思った。
 心が落ち着くような静寂など、日の当たらぬ裏通りにあるはずもない。だからこれは何か厄介事の起こる前触れであろう。実際、こういう時の私の勘はよく当たるのだった。

 しばらくして、ガァン、と虚ろな物音がひとつ。ほらみたことか。まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に擦り消し、意識は自然と外へと向いた。
 少し間を置いて、先程よりも鈍い音がひとつ、ふたつ……またひとつ。
「喧嘩なら余所でやっとくれ!」
 おおかた階上のゴミ箱が蹴っ飛ばされでもしたのだろう。厄介事は御免とばかりに換気扇に向けて声を張り上げたが、断続的な音が止む気配はない。
「今日はもう店じまいしたんだ、帰ってくれ!」
 職業柄、突然の来訪者は日常茶飯事だった。かといっていつ何時でも親切に応対してやるわけではない。こちらにだって都合はあるし、それに深夜の迷惑な来訪者の顔などわざわざ見たくもなかった。
 人の気配は去ろうとしない。それどころか、入り口へ続く階段の方へと移動してきていた。
 やれやれとため息をついたのもつかの間、錆の回った軋む階段を不揃いな足音がゆっくりと下ってくる。会話は聞こえない。忍ぶような気配も感じない。それが逆に不気味だった。
 どうせ迷惑な酔っ払いか何かだろうとたかをくくって声を上げたのがそもそもの間違いだったか。こちらの思案など知りもせず、音は確実に近づいてくる。懐に隠し持った刃物に指先を触れさせると、コンクリートの壁の向こうでずる、と何かを擦ったような気配がして――

――そのまま、階段の最後の数段を派手な音をたてて転がり落ちたきり、静かになった。

……は?」
 予想だにしない展開に思わず声が漏れた。音はぴたりと止んでいる。ドアの向こうに人の存在は感じるが、動く気配はない。
「家の前で酔い潰れるのは勘弁してくれ!」 
 返事はない。落ちたのは数段だろうが、打ち所が悪くそのまま昏倒したのかもしれない。こうなるともう無視を決めこむことはできなかった。放置しておいて明日の朝一番に死体とご対面するほうが、もっと気分が悪い。
「ああもう、水くらいはやるから、とっとと帰ってく……
 ただ酔い潰れて眠っているだけならそのまま蹴りのひとつでも入れてやろう。意を決してそこそこ勢いよく開けたドアはすぐに何かに当たって鈍い音を立てた。夜中に厄介事に巻き込まれた不機嫌をそのまま乗せた文句は最後まで言いきることができなかった。
……こりゃあまた、ひでえ有様だ」

 夜目にも目立つ白く長い髪、くしゃくしゃになった華奢な身体。足元に転がったまま微動だにしない蒼月は、全身血に塗れていた。