半生半夢 - 2/2

「アンタにしちゃヘマしたじゃあないか。え?」
 辛うじて意識はあるらしい。腕を引いて立ち上がらせようとすると、う゛、と低い呻きが溢れた。
「悪いが少しは自分で歩いとくれ! この老いぼれが先にくたばっちまうだろ」
 黒い服に紛れて一見ではよくわからなかったが、右肩からかなり出血しているらしかった。腕を引くのを諦め、背に担ぐように半身差し入れると、荒い呼吸が首を撫ぜる。
「悪ぃ……な」
 ぱた、ぱたた、と指先から滴る赤が床を汚していく。半ば引きずるように処置用のベッドまで辿りつき座らせると、薄い瞼が震えてようやく視線が交わった。
「銃創……じゃないよなあ、その様子だと」
 硝煙の臭いがしないし、ただ弾丸に貫かれただけならばこんなにあちこち全身傷だらけにはならないはずだ。一度で命を奪うはずだった初撃を辛くも逸らし、しばらくやりあった末に隙をついて上手く逃げた――想像に難くない。
 備品のストックが足りるか頭の片隅で計算しながら、一時間ほど前にきちんと手入れをして片付けたばかりの器具を取りにカーテンの間仕切りの奥へと進む。目を離している間にどさりと音がして首だけで振り向くと、シーツを血で汚して横様に倒れた痩身が見えた。
「おい、ここで死ぬなよ!」
 両手に器具と包帯を抱えて戻ると、蒼月は苦しげに視線を上げた。肩から溢れる赤がシーツの端からも垂れ落ちていて、見る間にも瞳がぐらぐらと覚束なくなっていく。
「ああ、ひっでえなこりゃ」
 ぐっしょりと濡れた袖を一息に切り裂くと、血を流し続ける傷が目に飛び込んできた。よくもまあこの怪我でここまで歩いてこられたものだと妙な感心をしてしまうほどのもので、抵抗もままならぬうちに大振りのナイフでひと突き――大体そんなところだろうとあたりをつける。ずたずたにされた傷口を見るに、用いられたのは人の命を奪うことに特化した凶器に違いない。
「間が悪くて薬が足りねえんだ。とりあえず出血を止めることと、可能な限り化膿を防ぐ処置くらいしかできない。文句言うなよ」
 言い聞かせるというよりは、とにかく話しかけて意識を保たせるといった意味合いの方が強かった。溢れ出す赤が増えるほど、蒼月の元より血色の悪い肌はより色を失っていく。
――ッ、う……っ、は、ぅ、ぁ」
 これまで碌な反応も示さなかった蒼月が、ふいに低く呻いて胸を押さえた。
「痛むのか?」
 蒼月は答えられない。途切れがちな呼吸を繋ぐだけで精一杯のようで、それさえも次第に緩慢になっていく。
「おい、蒼月? ……駄目だ、やっぱり耐えきれないか」
 脈が早すぎる。そのくせ、指の力で強めに押さえただけでも簡単に弱まってしまう。無駄に拍動しているだけで、碌に循環させられていないのだ。このままでは遅かれ早かれ発作を起こし、いずれ止まってしまう。
「恨むなよ」出来るだけ使いたくはなかったが、やむなく強心剤を投与すると決めた。

「ッぐ、ぅ……
 弱った心臓を無理矢理に動かしても、彼の苦痛は取り除かれるばかりか余計に増す。しかしこれしか手はないのだった。
「ッハ、は………そ、痛ぇんだ……よ、 こ、れ」
 蒼月は苦しげに身を捩る。涙の膜の張った目は苦痛のあまりに充血していた。
「打たなきゃ心臓が止まるぞ」
 脅し半分に言えば、チッとかすかな舌打ちが返る。
「う゛……ッあ……――っは、はぁ、っは、は――……な、麻酔も、打って、 く、れ」
「悪いができない。今薬で眠ると、最悪二度と目覚めねえぞ」
「な……だよ、ッ゛う、ッ………とん、だ……痛ッ、っは、ヤブ、医者、 だな」
「ヤブじゃねえ。無免許なだけで腕は確かだって、いつも言ってんだろ」
「自分で、言うあ……たり、ッ――……と、しんよ、なら、ね……
 胸元を握り締めていた手からずるりと力が抜けた。麻酔なしに傷口を縫う痛みのあまりに気を飛ばすよりも、今眠っておいたほうが楽に済むだろう。

「安心しろ。そう簡単に死なせたりしねえよ」
 汗ばんだ額にそっと手を置く。
「だから、生き急いでくれるな」
 意識があるうちにそんなことを言おうものなら、いつもの皮肉めいた笑みを返されるだけだろう。
 だから、今のうちに。額に張り付いた白く細い髪を払ってやりながら静かに声をかけると、色濃く影を落とした苦痛の色がほんの少し和らいだ気がした。