不香花

 ぱらぱらと細かな氷雪が散る。腕や背に当たっているはずの感覚はとうの昔に雪白の彼方に消えていた。
 終わるならば一面の白の中がいいと思った。記憶に残すのは愛する人の悲しい空笑いより、身体ごと凍らせ消し去ってくれる雪がよかった。最後まで残るのは聴覚だという。ならば何の音も聞こえないこの場所で、死にゆくことにも気がつかないままに目を閉じたかった。染み一つない敷布より、温かに吐き出される薬缶の湯気よりもなお白く、音のない世界で。
 風音が聞こえる。耳ではなく身体の内側で響く。息苦しさに口を開けば風音はかき消えた。これは病の音だ。全てを白く覆って綺麗にしてくれるはずの雪でさえまだ隠せない病の音。まってて、もうすぐ一緒に殺してあげるから。胸の内に呟いた言葉が届いたのか、吹雪は少しだけ勢いを緩めたようだった。
 視界が回る。嗚呼、もう一歩も踏み出せない。上も下も同じ白の中に身を預けるとじわりと胸の奥が熱を帯びた。せぐりあげるままに手に受けたそれは眩しさに慣れた目にはあまりに鮮明に映った。
 お願い、全部凍らせて。なかったことにできないのならせめて、白で覆って見えないようにして。精一杯伸ばした指先に雪が降る。落ちた牡丹を氷花に変えるように色を奪っていく。仰向いた喉に熱が留まって呼吸が詰まる。苦しいのは少しの間だけだ。すぐに何もわからなくなる。悲しみも笑顔も未来もない純粋な白に包まれて、静かなその一片になるのだ。
 目の端に温かいものが伝う。まだこの身体に熱は灯っている。それが少しだけ悲しくて、震える瞼を上げる。
 蜃気楼の彼方に鮮やかな幻が見えた気がした。