喉の渇きにふと目が覚めた。いまだ全身の怠さは居座ったままだった。
視点が低いのはベッドの足下に凭れて座っているからだ、ということを理解するまでに少し時間がかかった。視覚が捉えたものを意識として変換するためのエネルギーすら足りていないような、見たもの感じたものが一瞬のタイムラグを伴って現れる感覚に少し気分が悪くなる。
ぼんやりと部屋の右隅を見上げる。時計の針は四時五分前を指していた。
「……寝てたのか、な」
前に見たのは何時だったかどうしても思い出せない。それどころか自分がどうして座り込んだまま眠ってしまったのかさえ思い出せないでいた。
「っ、けほっ……水……」
喉が張り付く感覚に二、三咳をして、ああ喉が渇いて目が覚めたんだったと思い出した。
今無理に立ち上がろうとすれば目眩を起こして動けなくなりそうな気がした。友人がいれば頼みたいところだったが、生憎帰ってくるにはまだ早い時間だった。
少し体勢を変えただけでふわりと嫌に歪む視界を宥めながらそろそろと立ち上がろうと、床についた手が滑った。何気なく見遣った指先は乾き始めた血で赤錆色に汚れていた。
指先から続く赤は点々と床に模様を描き、それを吸ったセーターの袖口にも色を移していた。
「……ああそうか……片付けなくちゃ、ね……」
人間は気を失う程の痛みや衝撃に晒されるとその瞬間の記憶を失くす事があるというのは本当だったのか、と他人事の様に思った。この赤は、終わりへのカウントが刻まれ始めた証拠に他ならない。それでも我ながらここまでよく保ったものだと、あまりに冷静に考える自分が逆に可笑しく思えてくるほどだった。
窓の向こうから授業の終わりを告げる鐘が、少しずつずれて幾重にも重なって響いてくる。
差し込む西日は見慣れた部屋の何もかもを赤く染めていった。いっそこの血も夕日が作り出した幻想ならいいのに、と思った。
まだ遠く鐘の音が消えやらぬうちから、もう寮の古い階段を足早に駆け上がってくる足音が聞こえてくる。階下の下級生達の談笑するさざめきが波のようにゆらめいている。
ぎし、と一際大きな床の軋む音にふと顔を上げた。最上階のこの部屋に続く階段を登るのは、同室の彼しかいない。
床を汚す赤を脱いだセーターで覆った。まだ、この幸せな時間を失いたくはなかった。
「……おかえり」
扉を開けた彼に、そっと後ろ手に冷えた指先を隠して笑いかける。