垂り雪 - 1/2

 その刀の鍛刀には恐ろしく時間がかかった。審神者は鍛刀の始めと終わりにだけ立ち会うが、その待ち時間のなんと長いことか。
 いよいよ顕現させる時がきた。期待に胸を膨らませて鍛錬所に入ると、部屋の真ん中にはすらりとした一振りの刀が置かれていた。淡く光を反射する白蝶貝のような柄と鞘に、鐔と石突、柄先の艶やかな黒がよく映える。優美な曲線は見ているだけで気持ちが良く、すらりと抜き放つ瞬間の昂揚は如何程であろうと、審神者はしばし陶然と見つめた。一目で心を奪われてしまうような美しい刀だった。
 おずおずと目の前に正座し、触れることさえ烏滸がましいと感じつつもそっと手を伸ばす。震える指先が僅かに白い鞘に触れた瞬間ぱちりと軽い痺れが走り、審神者は反射的に指を引っ込めた。同時に刀身から眩い光が奔流となって溢れ出す。刺すような白は二度、三度と明滅を繰り返しながら薄暗い鍛錬所中を真昼のように照らし出し、やがてゆっくりと灯が消える様に収束した。
 審神者は反射的に瞑った目を恐々と開けた。強烈な光にあてられたせいでちらちらと瞬く視界に、たった今審神者によって顕現させられたものの姿が映る。
 己の本体たる刀に軽く左手をかけ、跪いて顔を伏せた付喪神はまさに刀の写し身であると一目でわかるすらりとした痩身を紺藍の洋装に包み、肩からは純白の法衣と折五条を羽のように纏っていた。重たげな数珠が細い体を緩く拘束するかのように交差し、所々にあしらわれた法衣や装備を留める紐は目にも鮮やかな深紫をしている。
 何より目をひくのは先へ伸びるにつれ濃墨から純白へと変化している長い髪だ。彼が人ならざるものであることを一層意識させるその髪は背を滝のように流れ落ち、床まで届いて緩やかな曲線を描いている。
「私は、天下五剣の一振り。数珠丸恒次と申します」
 張り詰めた静寂にすっと落とされたその声は見た目の印象よりも低く、柔らかく心地良い。寸の間呪縛にかかったかのように呆然と口上を聞いていた審神者はしばらくしてようやく己の為すべき事を思い出し、慌てて正座した姿勢から立ち上がった。
「あ、あの、顔を上げて下さい」
 おっかなびっくり、己の上擦った声が恥ずかしい。しかし数珠丸恒次はそんな事なぞ意に介さずといった風で恭しく面を上げた。薄墨色の絹糸のような髪が揺れる。長めの前髪の合間から覗く顔は思わず息をのむ精緻な美しさで、その半眼の瞳にしかと見つめられたら最後、あっという間に意識を呑まれてしまいそうだ。
 もう一度深々と一礼してから数珠丸恒次は音もなく立ち上がった。重さを感じさせない洗練された動きは白刃の鋭いしなやかさそのものだ。かなりの長身だがその線の細さのせいか威圧感を受けることはなく、立ち姿は新月の夜にひっそりと花開く月下美人を思わせた。
「本丸を御案内、致します」
 これ以上見ていたら神隠しにでも遭ってしまいそうだ。落ち着きのない足取りで鍛錬所を出る審神者の後を数珠丸はふわりとついてくる。
 

 その足元が時折頼りなげに揺れる事に審神者はついぞ気がつかないままだった。