偶も奇跡も多生の縁 - 1/2

 太宰と安吾の姿が見えない。
 これといった用があるわけでもなかった。ただ目が覚めて、昨夜も確認したことだが改めて今日は潜書も助手の仕事もないと確認し、ゆっくりと着替えてから遅めの朝食兼昼食をとった。久々の有閑気分と時間を持て余した憂鬱の混ざり合うままに静かな窓辺に居場所を見つけて煙草に火を点けて、細い煙とともに目の前を静寂が通り過ぎていったように感じた瞬間、違和感がすとんと胸に落ちて、ああ二人の姿を朝から見かけていない、と気づいたのだった。
 図書館の面々に尋ねても、誰もが知らないと答えた。そのうちにどうやらはぐらかされているようだと気がついた。そんくらい教えてくれてもええやんけ、いけずやなぁ。そうは思ったものの、それ以上突っ込んで聞き出す気にもなれなかった。彼等にだってそれぞれの生活はある。ましてやこんな降って湧いたような二度目の生と侵蝕者との戦いの日々、図書館での強制的共同生活の最中であればなおのこと、休日くらいは誰に行き先を告げることもなく勝手気ままに過ごしたいだろう。
「静かでええやんけ、なぁ……?」
 誰に言うでもなく零した言葉が妙に白けて聞こえて、結局寄る辺なく舞い戻った窓辺でひとり、二本目の煙草に手を伸ばす。煙は昼の光の中へ溶けて消えた。かわりに迷い込んできた秋の花の香りにふと顔を上げる。甘哀しい金木犀の香りはちりりと思考の奥を鈍く刺した。夏の夜、目の前をふわりと飛んで草葉の陰に隠れた蛍を見て、何故か一筋の涙が零れた時と同じ感覚だった。
 全てを思い出したわけではないせいか、時折音や匂いや何処とも知れない風景の幻像が朧に浮かぶことがある。形のないイメージは懐かしい街の景色やもう声も思い出せない誰かの姿を結びかけて、時の流れに解けるように消えてゆく。心の動いた名残のように、涙や手の震えや重苦しい吐息ばかりがこの世に残る。
 いまだ思い出せないことは多いが、戻った記憶も増えてきた。生涯の友に出会ったのも、生涯愛した人に出会ったのもこんな秋の頃だった。枯葉の音を足下に聞きながら歩いた、最後の大阪の秋は綺麗だった。愛した町に漂う雨の匂いを、この身体は今もどこかで覚えているような気がする。記憶よりもなお深いところ、己の生き様と書き遺した作品と人々の語る『織田作之助』の偶像、それら全てと超科学とほんの少しの奇跡を混ぜ合わせて作られた、存在の核となる部分にひっそりと染み込んだ匂いだ。
 ふいに咳が出る。コほ、けふ、と噎せたような咳に背を震わせているうちに、煙草は燃え殻と化した。転生してもなお煙草ひとつ存分に味わえない身体に作られるなど、己の魂と作品には一体どれだけ死の病が影を落としていたというのだろう。
――いや違う、病も仮面も強がりも、全てひっくるめてこその『織田作之助』だ。血を喀く度につかの間の活力を与える薬に頼って、そうして見えた先の景色を、愛しい人々の有り様をひたすら書き綴ってきたのだから、転生してなお死の影を纏う事実は誇らしいくらいだ。
 秋――翳りの季節。春を夢に見て冬に終わる、そんな表象を具現化するかのように、気温の下降とともに体調は悪化していく。
 十月二十六日。今日が何の日か知っている。別に祝って欲しかったわけじゃない。騒がしいのは好きだが、別になくたっていい。何もなくたって書いて書いて書き飛ばして、気がついたら己の喀いた血で溺れて呼吸が止まる。それまでの間に、ここに一人の下手な道化役者がいたのだという証を確かに刻み付けられたのなら、それでいい。
 それなのに、この寄る辺ない寂しさは、思い出せない痛みはなんなのだろう。