花一華の頃 - 1/4

 日光の眩しい通りから重く古い木の扉をひとつくぐると、そこで季節が変わったかのような錯覚に包まれる。冷たい消毒液の匂いが染み付いた石造りの医院は、夏でも自然の涼しさを保っていた。
「おおい、池沢先生。いるかい」
 処置室へ続くドアが閉まっていたので、受付から声を飛ばす。
「今行きます。そこで少し待っていてください」
 ややあって、遠くから返事が聞こえてきた。間があったことからして、処置室ではなく奥の薬品庫にでもいるのだろうか。さほど忙しそうな雰囲気でもないなと、藤倉は言われた通りに待合室の端の椅子に腰掛けて待つことにした。

「すみません、お待たせしました」
 手持ち無沙汰になるまで待つこともなく、ドアが開く音に顔を上げる。
……どうしたんだ、それ」
 珍しく白衣を着ていない池沢は、首元の釦をひとつ開けた白いワイシャツとくたびれたスーツのスラックスという出で立ちで、それだけ見れば普段と何ら変わりない。しかしシャツの袖を肘までまくり上げた腕には、まっさらなガーゼがあちこちにあてられている。おまけに頬に細いひっかき傷までこしらえている始末だ。
「今日一番の患者様がたいそう元気だったもので」
 先ほど窓からお帰りになりましたよ、と池沢はあっけらかんと笑う。
「いつからここは動物病院になったんだ……
「朝起きて窓を開けたら、軒下で震えていて。見たところ軽い怪我のようだし猫相手でもどうにかなるかな、と手を出したらこの有様です」
 知ってます? この町、白衣を売っている店がないんですよ。雑貨屋に尋ねたら、割烹着しかないと言われてしまいました。白衣ひとつ買うためだけに隣町まで行くのは面倒で。藤倉さん、何か要り用な物があればついでに買ってきますけれど。池沢の突拍子のなさに驚かされつつ、藤倉はいいよ、むしろ代わりに俺が行こうかと呆れ半分に呟いて、処置室のドアを後ろ手に閉めた。

「これはいつもの分、こっちは新しいもの。用量はこの間の往診のときに直接伝えてあります」
 週に一度の往診の数日後に、一週間分の薬をまとめて受け取るのがいつもの流れだった。藤倉が居候する前は直次が受け取ることもあったらしいが、仕事で遠出をすることも多い彼はなかなか毎週きちんと出向くことができない。そこで代わりを引き受けることになったというわけだ。
 ただ機械的に受け渡すだけというのも気がかりなのか、池沢は小袋に分けた薬を簡単に説明してくれる。ありがたいとは思ったが、実を言えば半分くらいしか理解できてはいなかった。先生はいつも迷いなく服用しているようだが、薬に馴染みのない藤倉からしてみればどれも似たような薬袋、薬包紙の束にしか見えないし、咳止めが何種類も必要な理由だってよくわからない。
「薬は全て独自調合なのか」
「いいえ、ほとんどは薬種屋から買ったものを刻み直して小分けにしているだけです。発作止めだけは用量が難しいので、そのときの体調に合わせて調合していますが」
 最近は経過が良いので、今週分は少なめです。そう言う池沢の晴れやかな表情に、医師としての誇りを見たように思った。