一番後ろの窓際の席が空いていた。先に降りていった乗客が置いていったらしい新聞紙が転がっていたので、拝借して足元に敷き、不恰好に膨らんだ鞄を落ち着けた。
なんとなしに目を向けた窓の先に、若い桜の木が見えた。まだ蕾の多い枝は寒々しかった。山郷の春は遅い。遅い春を待つ時間が、私は好きだった。
ふと、低い枝に何か白いものが引っかかってはためいているのに気がついた。
どこかの家から飛んできてしまった洗濯物だろうか。最初はそう思ったが、よくよく目を凝らしてみてわかった――あれは、白衣だ。両の袖を結ばれて、旗印のように春風にひるがえっている。
池沢先生だ。姿は見えなかったが、そう確信した。
町にたったひとりの医者である池沢先生は、きっと今日も忙しく町中を回っているのだろう。ちょうど往診の休憩時間なのか、それとも――
見送りにはいかないよ、と池沢先生は言っていた。八つの頃から診てきた君を涙なしに見送るだなんて、できるわけがないからね。最後に会った日に、恥ずかしそうにそう言って鼻を啜って帰っていった先生を思い出した。
あの桜の木の後ろで、先生は今どんな顔をしているのだろう。
――世界を見ておいで。求めるままに、心を満たしておいで。大丈夫、身体はおのずとついてくるから。長年診てきた私が保証する。
――もっと自分を信じてごらん。君の信念は、いつしか君の生き方そのものになっていくから。
池沢先生のように、誰かの未来に希望の光を投げかけられる人になりたいと思う。
私は恐らく、誰かにとっての光そのものにはなれないだろう。それでも、受け取るばかりが生き方ではないと教えてくれたのが池沢先生だった。
孤児として育ち、やがて医院に住み込みの医者見習いとなり努力を認められ東京の医学校に学び、故郷に帰ってきてからは育て親の後を継いで町でただひとりの医者となり――私から見れば、池沢先生は紛れもなく希望の光そのものの生き方に思えた。しかしそれを伝えると、池沢先生は気恥しそうに笑って答えるのだ。
――もしも私が光そのものだったとして、みんなに希望を分け与えてしまったら、私みたいなちっぽけな人間はあっという間に削れて消えてしまいますよ。医者は、自分を消費してはいけない職業なんです。私にできるのは精々、それぞれが天から与えられた光をほんの少しだけ、弱った体や心に反射させるくらいのことで。
沢山の人に支えられ生かされてきた分、生きているうちに返さなくてはならない。許された時間が短いのなら、なおのこと。そんな固定観念を覆された瞬間だった。
分け与えられるほど持っていないのなら、それぞれの中から見つければいい。誰かの光が少しでも真っ直ぐ伸びるように、そっと手を貸す生き方だってあるはずだ。
そんな思いが、私を師範学校という選択へ突き動かした。
出発の汽笛が高らかに響き渡った。ぶるりと揺れて車体が息を吹き返し、窓の外にたなびく白い蒸気が灰色に変わった。
列車はゆっくりと動き出した。思いのほか大きく揺れて、転がって通路に飛び出しかけた鞄を慌てておさえる。目を上げたときにはもう、駅舎も見送る人も桜の木も、全てが遥か後ろに遠ざかっていた。
もう二度とは見ない景色なのかもしれない。ふとそんなことを思った。
二十の歳を数えられるかわからない、と熱と呼吸苦の間を彷徨いながら夢うつつに聞いてしまったあの日から、ぼんやりと刻まれた自身の限界。次があるさと笑い飛ばせない時間制限に囚われて、未知のものに手を伸ばすことに臆病になった。
本当は許された時間が終わるまでに、できるだけ沢山のものを目に焼きつけておきたい。与えられるものを受け入れるばかりで終わるより、ひとつだけでもいいから自ら選びとって満足して去りたかった。
長いトンネルを抜けて、車内がさっと明るくなった。次の駅で降りる客が荷物をまとめ始める。慣れた客ばかりなのか、浮き足立つ気配はなかった。山岳地帯であるこのあたりでは、隣町に行く足として鉄道が日常的に使われている。
隣町までなら子どものおつかいでも行けるくらいに容易いが、東京まで行くにはこの先二度乗り継がなければならない。今はまだ空いている車内だが、大きな駅に停まる度に混雑していくだろう。乗り継いだ先で空席に恵まれるかは運次第だ。
空気が滞りやすい車内では発作を起こしやすくなるから、なるべく窓側の席に座るか、立つならせめて車両の連結口の近くにいるように――池沢先生の言葉を思い出す。固い詰襟の裏にそっと手を差し入れると、指先に冷たい容器が触れた。中には急に発作を起こしたときのための強い咳止めが入っている。短時間で立て続けに服用すると激しい副作用が出るからと、数回分しか入らない大きさのケースに仕舞われたそれは、できればお守りのままにしておきたかった。
決して口には出さないできたが、実のところは不安しかなかった。東京という新しい環境も生まれて初めての寮生活も、全てが未知数でわからないことだらけだった。何より一番信用ならないのは自分の身体だった。
とはいえここまで来てしまった以上、いくら気にしても仕方がない。全て承知で飛び込むと決めたのだ。
手持ち無沙汰でいると、余計な思考に囚われてよくない。少し気分転換でもしようと、鞄の外ポケットにしまった原稿用紙を取り出した。
入学の手続きを受理したという通知の最後に、今年度の総代として入学式で答辞を述べよと記されているのを目にしたときには本当に驚いた。入学試験の日は珍しく体調が良かったので、成績も悪くはないだろうと思っていたが、まさか総代だとは。
元々学問が好きだった、などという美しい話ではない。碌に働けないのならせめて学問くらいはできないと捨てられてしまうかもしれないという生存本能と、布団の上でできることといえば本を読むくらいだったからだなんて、自慢にもならなかった。
入学式まであと五日。それまでに原稿を覚えてしまわなければならない。集中してしまえば、先行きの不安もしばらくは忘れられるだろう。
そうして、私は青南師範学校の門をくぐった。胸に満ちた不安は、生涯の友とかけがえのない青春の日々によって、いつしか温かく確かな道標に変わっていた。
二年の歳月はあっという間に過ぎ去った。野山を染める薄紅の山桜よりも、窓辺に白く透き通る染井吉野が目に馴染みよくなった頃。無事に卒業した私は、教師としての一歩を踏み出した。
これは追憶である。全ては過ぎ去った昔のこと、もう決して戻らず辿り直すこともできない日々が、気まぐれにほんの一欠片差し向けた残光である。
誰に語って聞かせることもない由無事をたまにこうして思い出す。あの頃の私に報いることができただろうか、裏切らない生き方ができただろうか。そんなことを思う。
たとえ短くとも、幸せな人生であった。心からそう思える未来に生きていると知ったなら、かつての私も救われるだろうか。そうであってほしいと願う。
これは、私が私であることを選ぶまでの話だ。
この手記を目にした人が、どうかありのままの私と出会ってくれますようにと願う。
一九一九年三月 平野啓司
