序 はじまりの春

 あの頃の囁きが身体のどこかに吸い込まれて、意識することがなくなって久しい。
 声の輪郭が溶けた今、記憶は色や光に姿を変え、ふとした瞬間に瞼の裏にぱっと散る。形を留めていた頃より自由で、しかし手のひらで掬い上げることは二度と叶わない。青春時代とは、一度しかネジを巻けない廻転琴オルゴールのようだ。
 あの日の桜の白さを覚えている。十五歳の春、初めてひとりで降り立った上野駅は、早咲きの染井吉野で埋め尽くされていた。淡い紅色の山桜ばかり見慣れていた僕にとって、葉のない白い桜が示し合わせたように一斉に咲く様は都会的で眩しく見えたものだった。
 こちらでは寮に入るのだからと、お下がりの古い旅行鞄ひとつに全ての荷物を詰め込んで生まれ故郷を出てきた。少しの着替えと勉強道具、鞄の中敷きの裏に縫い込んだいざというときのお金。父から気まぐれに貰った小難しい文学書と、母が手ずから作って持たせてくれたお守り。それだけを片手にぶら下げて、おろしたてでまだ着心地の悪い詰襟に身を包み、三等列車にひたすら揺られて辿り着いた東京。着いたその日は駅裏の寂れた木賃宿で眠れぬ夜を過ごし、翌日にはもう入学式だった。
 青々と蔦の絡んだ、レンガ造りのどっしりとした正門。実際の年月より貫禄を感じるのは、掲げられた門札が達筆すぎてはっきりと読めないせいもあるだろうか。
 正門の奥にそびえ立つのが、文明開化の息吹も清々しい西洋式建築の校舎だ。臙脂の屋根瓦に白壁の校舎は遠目にも鮮やかで、質の良い装飾の施された車出しのある玄関や、豪奢な窓手摺のついた二階部分など、細部までこだわって作られた建物だとわかる。明治初期に迎賓館として建てられたものに改修を施し、数年前に校舎として再利用するに至ったと後に聞いた。
 東京府青南師範学校。明治四十二年の春に、僕は本科第一部の一年生になった。
 
         
 あの日、そうあれはたしか、雲ひとつないような晴天やったわ。そよぐ春の日差しに、塗り直したばかりの校舎の白壁が眩んで見えたっけな。
 嘘、ホンマは天気なんてよう覚えとらん。詩人の心も文筆家の目も持ってへんから、昨日の青空も十五の頃に見上げた青空もさして変わらん。けどまあ、晴れてた思うっちゅうことは、あの日の俺は清々しい気分でいたってことなんやろうな。
 東京も大阪も大した違いはないと思ってた。帝都万歳、東京こそが日本の中心だと囃し立てたところで、高速列車の停まる駅をふたつほど離れればどこもかしこも草っ原ばかり。ほらな、何も変わらん。初めて親元を離れて生活するとはいえ、元々家族なんてあってないようなものやったし、何より当時の俺はどこにいったって俺やっちゅう根拠のない若い自信に満ちてたから、まあ、不安は全くと言っていいほど感じていなかった。
 ほんの二言三言、軽口を交わせば誰とでもあっちゅう間に打ち解けるのが生まれついての特技とはいえ、初めて降り立つ東京の地、さすがに入学式の前から知り合いはおらんかった。そんなこんなで朝早くから張りきって行くなんて酔狂なことはせず、早咲きの桜がちらほらと舞う中を、風流を気取ってゆっくり歩いていった。ゆっくりしすぎて講堂に着いたときにはもうかなりの学生が前から順に座っとったっけ。
 適当に端の席に陣取って、さてどうしたもんかな、気まぐれに隣の奴にでも話しかけてみるかなァと周りを見回して――そうしたら聞こえるわ聞こえるわ、右からも左からも耳慣れぬ方言の大応酬。地方出の学生が多いのは知っとった。だからこそこの学校を選んだっちゅうのもある。けどまあ、ここまで田舎っぺばかりだとは思っとらんかった。なんや、天下の東京なんて言ったって、蓋開けてみればただの田舎から出てきた若もんの集いやないか。
 俺は妙に安心していた。自分のことは棚に上げてよう言うわ。

      
 連日揺られ続けた列車をようやく降りて、寝不足の目を無理矢理にこじ開けて。駅舎の外に咲き誇る満開の桜、初めて見る雪のない四月の景色は、まるで夢を見ているかのように幼い両目に映し出された。
 暑い。暑すぎる。こんなに気温の高い春は初めてだった。厳冬の季に固く海を閉ざしていた流氷がようやく去り、ある朝薄緑色の小さな新芽が天を指しているのを見つけて喜ぶのが正しい春の姿ではないのか。水温み花咲き乱れるなんて、これはもう春ではなく初夏の景色であろう。着慣れぬ詰襟の下に汗をかきながら、私は都会の生温い春を胸いっぱいに吸い込んだ。やりすぎて、駅前のロータリーを走る自動車の排ガスまで吸い込んで盛大に噎せた。今でこそすっかり慣れたが、十五の私にとっては騒々しく車の行き交う大通りさえも生まれて初めて見るものだったのだ。
 あらかじめ地図は用意していたが、なんせ初めての大都会、案の定とも言うべきか迷った。右を見ても左を見ても似たような長屋や商店が延々と続いている。道行く人に尋ねても、困った顔で首を横に振られるばかり。東京の人のなんと薄情なことかと私は大いに嘆いたが、なんてことはない、上京したての私の訛りがひどすぎて誰ひとりまともに聞き取れないだけのことだった。
 試験は地元で受けたから、実際に学校に出向くのは入学式の日が初めてだった。迷ったおかげで式の開始に間に合わず、危うく入れてもらえないところだった。
 どうにかこうにか辿り着いた汗まみれの体のまま、講堂の重い扉を恐々と開ける。
 朗々たる歌声が私の全身をもろに打ち据えた。不可視の熱量が一気に押し寄せてきて、目や耳やその他ありとあらゆるところから一斉に飛び込んで身体中を掻き乱して、夏の通り雨のように肩甲骨の間を抜けていった。
 揃いの詰襟、制帽姿で校歌を歌う上級生の姿に、気づけば両の目から止めどなく涙がこぼれ落ちていた。扉の横に立っていた教師がぎょっとした顔で私を見た。
 席につきなさいと言われたのも耳に届かず、式が終わるまでそこに立っていた。一歩たりとも動けなかったのだ。歌声は私の身体の奥底に深く刻み込まれた。ああ、弟や妹達にも聞かせてやりたかったな――帰省したときに何遍も歌ってみせた。今だって一字一句間違えずにどこからだって歌えるのは、同輩の誰よりも口ずさんだからに違いない。
 私が東京で過ごした年月は僅か二年である。しかしこの二年が、先に続く人生にかけがえのない彩りを与えてくれたのだと心の底から思っている。

      
 思っていたより沢山の人がいるものだな、というのが最初の印象だった。
 生まれ育った家から一番近い尋常小学校に通い、そのまま高等科に上がった。東京生まれ東京育ちとはいえ、家から子どもの足で歩いていける範囲の世界しか知らないままに十五歳まで生きてきた僕にとって、この師範学校は初めて触れる未知の世界だった。
 ここは日本中から学生が集まってきている。出身も経歴も様々、学業優秀な公費生もいれば、学費とそこそこの寄付金さえあればとりあえず入学を許される私費生もいる。ただひとつ、今日から同じ寮、同じ校舎で過ごすということだけが共通点だ。
 師範学校に入れるだけの地頭があるのなら、高等小学校を出てすぐに働くよりも後の生活に困らないから進学した方がいい。僕の場合、理由はそれだけだった。教師という仕事に憧れたわけでも、学業を続けることに並々ならぬ熱意があったわけでもない。だからこそ、意気込んで上京してきたであろう同級生達と関わるのが内心不安だった。とはいえ本当に嫌になったらいつでも逃げ帰れる実家や、遊びに誘える馴染みの友の存在があるだけ、幾分か気楽ではあったが。
 入学式は新入生総代による答辞によって締めくくられた。壇上から総代の名が告げられると、僕のすぐ右隣からはい、と凛と通る声が聞こえた。見れば、横顔に僅かな緊張を滲ませた生徒が静かに立ち上がったところだった。
 彼は壇上に立つと、深く一礼した。やがて顔を上げ、自分のいる場所を確かめるように周りをゆっくりと見回し、滑らかに口を開いた。
 原稿も持たず、狼狽えることもなく、彼は滔々と見事な宣誓をした。どこか儚げな印象の、落ち着いていて真面目そうな男子生徒。同い年のはずだが、すっと伸びた背筋と真っ直ぐな視線のせいか、歳よりもずっと大人びて見えた。彼のような者が、将来この国を背負って立つ立派な教育者になるのだろう。そんなことをぼんやりと考えていた。
 偶然にも彼とは入学式の直後に寮の部屋で早速再会し、その後の短くも長い二年間の学生生活を最後まで共に過ごすこととなった。
 『彼は生まれついての教師であった』――誰かがそんなようなことをずっと後になってから言ったとき、僕はそれが半分だけ真実であると思った。
 確かに彼は教師としてたぐいまれなる素質を持っていたように思う。しかし僕は知っている。彼にだって、「先生」と呼ばれるより前の日々があったことを。

――これはまだ、僕達が咲き初めの桜だった頃の話だ。