Tour – The Novembers – @仙台:darwin 2023.11.11

 美しい夜だった。
 全て終わってライブハウスを出ると、冬の初めの冷たい風が吹いていた。火照った肌にキンと沁みて、ああ、今日また一歩季節が進んだ、と感じた瞬間に、どうしようもなく幸福で泣きたい気分になった。
 人生に幾度かあればその全てが十分幸福だったと言えそうな、二度とはない美しい夜だった。

 新しいアルバムの曲達に最初に出会うなら11月11日、THE NOVEMBERSが一番愛すであろう日にと決めていた。
 ツアー初日に浴びたい誘惑も、何公演か終わってから早速ネット上に溢れはじめた感想も全て振り切って遠征してきた宮城・仙台、チケット番号10番。約束されし楽園はすぐそこに。
 …などと強気で向かったのだが、オープン1時間前くらいから突然どうしようもなく怖くなってきて、これはとても素面で受け止められそうにないなと思いコンビニでビールを購入し呷ってしまった。なんて弱気。
 フロアは始まる前から異様な空気に満ちていた。浮き足立ったような、楽しみで仕方ないけれど同時に怖くて仕方がないような。こういう空気には何度か出会ったことがある。一度きりの魔法がかかりやすい空気だ。謎の武者震いで胃痛がやまず(本当に弱いな)、コンビニに立て続いてワンドリンクのビールをまたも呷る始末。アルコールで恐怖を鈍らせる作戦。…結局あまり効果はなかったが。
 開演を待っている間、コロナ中に彼等が久々にやったツアーのことを思い出していた。21年7月の大阪CLUB QUATTRO。誰に強要されたわけでもないのに、同調圧力で誰ひとり座席から立てなかったあの日。みんな待ち望んでいたのに、目の前で最高のパフォーマンスが繰り広げられているのに、拍手さえもぎこちなかったあの日、最後に小林さんが泣いたのを初めて見た。あれ以来涙は見ていない。
 あれから2年と少し経った。遠くまできた感覚はあまりない。
 コロナ以降、ライブは一期一会のもので、同じものには二度と出会えないし、逃した公演に出会い直すこともできないという思いがより強くなった。私もあなたも明日存在しているかわからないし、仮に存在していたとしても同じ「私とあなた」では在り得ない。今日の私とあなたはこの一度きりしか出会えない。ならば気になったものは何をなげうってでもなるべく全て行こうと決めた。

 今日初めて出会った曲達については、今はまだ多くは語れない。たった一度、はじめましてと挨拶を交わしたきりだからだ。
 小林さんは「たった一度きりのはじめてを楽しんで」と言っていた。はじめましてをライブで迎えられることが、どれだけ貴重で輝かしいことか。わくわくを共有できることがどれほどの奇跡の上に成り立っているか、私達はもう知っている。
 新曲達はどれも全く知らない曲なのに、ずっと昔から聴いてきたような懐かしさがあった。色々なものが合わさってできた音。こんなものから影響を受けたのだろうな、というのもなんとなく感じられた。ちょっとモリッシーっぽい。これまで以上に洋楽の匂いを強く感じた。
 でも懐かしさの理由の根源はそこではない。懐かしいのは、昔の彼等と地続きであることをはっきり感じさせる音をしていたからだった。
 新曲から定番曲へシームレスに繋ぐ一幕があった。知らない音が段々歪んで揺らいで知っている音になった瞬間、ああ、過去の彼等と今の彼等はしっかりと繋がっているのだ、と強く感じた。  Hallelujahを出した頃に、彼等は別の何かに脱皮したように思えたものだが、ここにきて回り回って戻ってきた。新譜をセルフタイトルにした意味の一端に触れた気がした。
 MCで次曲を紹介するとき、「知らない曲をやります」と言っていたのが良いなと思った。新曲ではなく、知らない曲。聴く我々にとってだけでなく、プレイしている彼等にとってもまだ未知な曲なんじゃないかと思った。今まさに一緒に作っていくような、そんな感覚。
 どの曲が、と具体的に言えないが(まだアルバムを聴けていないので曲名さえわからない)、ひときわ魂を強く掴まれるような曲がひとつあった。胸のざわめきの止まらない、呼吸を忘れる曲。あれはちょっとすごかった。強烈なはじめましてだった。こんな体験は二度とないだろう。

 新曲達はここ数年の作品の中で一番まっすぐ前向きで、しかし死の匂いが強いように感じた。最近あまりなかったと思う。でも昔の曲の纏う破滅寸前の死の気配ともまた違う。光に向かってまっすぐ歩むような曲達。光の向こう側は、きっとこの世ではない。
 小林さんのシャウトや轟音のギターノイズの先、高松さんのうねるベースラインやケンゴくんの雷鳴のようなギターリフや吉木さんの鬼気迫るスネアの向こうに、一瞬奈落が見えることがある。一歩踏み出せば落ちていけそうな恍惚に満ちた瞬間、背を押されてぐらりと傾ぐような感覚が堪らなくて何度だってライブに通うわけだが、新曲達はなんというか、気がついたら向こう側に流れ着いてしまっているような感じがした。死んだことにも気づかないような。ああそうかもういっちゃったんだ、と悟ったときに涙がこぼれるのだろうなと思った。

 私は小林さんがギターをかき鳴らしながらシャウトしている姿が大好きだが、彼がギターを置いてハンドマイクになる瞬間の「来るぞ」感は、それはそれとして何度観てもゾクゾクするしその期待を裏切られたことはない。
 指先までまっすぐ音の通った動き、優雅なまでの滑らかな所作。身体の中に血のごとく音楽が流れているのがわかる、あのパフォーマンスは何度浴びても新鮮な興奮がある。今回もものすごかった。いつからお立ち台がデフォルトで用意されるようになったんでしたっけ?
 ライブ中、今この瞬間に心臓が止まればいいのにと思うときが何度かあった。この場で目の眩むような光と轟音に包まれたまま死にたいと思った。そうしたら世界一幸福だろう。
 最後の最後に『いこうよ』はずるい。そんなの泣く。ああ、また死ねなくなってしまった。光の向こうにいったはずの彼等はいつの間にかまたこちらに戻ってきていて、良い未来へと橋をかけた。眩い轟音とひとつになって、私もまた未来へと向かう。願わくばなるべく良い未来へ。

 ライブ後のアルバムお渡し会。…もう心ここにあらず。
 ライブ直後のアーティストに会えて、アルバム手渡ししてもらって、握手して、言葉が交わせるって何。どういうことなの。あまりの状況に脳がフリーズした。
 メンバーそれぞれに言おうと思って準備してきた言葉があったのだが、いざ前にするとそれらは儚く塵となり、結局陳腐なことしか言えず。メンバー全員、温かい手をしてました。
 ……ついに高松さんと握手してしまったあぁぁあああ(落ち着け)
 ついに。推しと。推しと握手してしまった。お渡し会の整理券を右手で受け取った流れでかもしれないけれど、握手でナチュラルに左手を差し出したのを見て、あ、彼やっぱり左利きだ、と思ったりもした。しっかり左手で握手してきた。指輪似合ってたなあ…。
 本当はベースの話をしようと思っていたのだが、目の前にしたらもうダメでしたね。うん、わかってた。わかってたさ。
 かろうじて小林さんにだけ、用意した言葉を伝えられた。もうそれだけで精一杯…。

 数時間経ってもまだ頭の中を閃光と轟音が埋め尽くしている。たぶんしばらく止まないだろう。仙台に来たら必ず行くミュージックバーがあるのだが、そこでウイスキーを飲んでいる間も光はずっと瞬いていた。
 帰ったらじっくりアルバムを聴こうと思う。誰にも邪魔されないところでひとり、じっくりと。 もう一度出会って、改めてこんにちはと言いたい。12月の東京公演ではどんな風に聞こえるか、それもまた楽しみだ。