そこのみにて光輝く

『そこのみにて光輝く』 監督:呉美保 2014

 人は与えられた場所で(もうああまで落ちぶれるというか、底辺にいるのは神様にそうされたからとしか私には思えなかった)精一杯に生き、人を愛し譲れないものを心にもっているのだなと思った。その生き様は神々しくもあり、それだけで希望を与える力を持っているのかなと思った。

 綾野剛演じる達夫の、どうしようもなくうらぶれた言動に見え隠れする孤独と悲しみが良かった。拓児はそこに”よくわからないけれど格好いい”男の姿を見ていて、一方千夏は達夫の悲しみを見抜いている。諦念で繋がり合った二人が一気に引き合うところは少し性急かなと感じたが、人生に一切の希望を見失った人間が自身の救い足りうるものを見つけた時の心情としては、これくらいが丁度良いのかもしれない。それほどまでに二人は追いつめられ、悲観していたのだともとれる。

 この作品の人物達は、みな根底に「自身の無力さ」を重く抱えている。
 彼等はもう充分過ぎるくらいに重荷を背負っているから、誰か一人の荷物を半分持ってあげることはできない。それでもその重荷を溶かしてゆくための支えになることはできるから、彼等はお互いの重荷をぽろりぽろりと口に出していって、少しずつ手放していって、もう一度立ち上がってこれまで諦めてきた世界に近づこう、近づけるかもしれないと手探りで進んでゆく。それができる間柄の事を家族と呼ぶのだろうか…代わりに持ってあげるのではなく、ただ抱きしめる。なんだかんだ言いつつ(この作中で描かれているのは”なんだかんだ”なんて生易しいものではないのだが…)見捨てられる事はないという安心感と、それを与える無償の愛。傷ついた人間を救う一番の方法なのかもしれないと思った。
 その愛が、確かに自分を受け止めてくれると思える場所や人がある限り、これまでと変わらない絶望が広がっていたとしても一度灯った目の光が消える事はないのだ。たとえ思い描く通りに未来に向かって進めなくとも、自分の生き方は間違っていないと、私は私の精一杯で一歩を踏み出していると言える人達は、彼等の在る場所で確かに光輝いているのだろう。