メメントモリ・ジャーニー

『メメントモリ・ジャーニー』
メレ山メレ子 著/亜紀書房
ISBN:978-4-7505-1485-7

初読:2023年4月

「ああ、旅に出たいなあ」
 日々の中でふとそう思う瞬間がどれくらいあるだろうか。
 本書はそんな思いが常日頃から頭の片隅をよぎってやまない、あるいは漠然とした「どこかに行きたい」気持ちに苛まれてなんとなく鬱屈している人にこそお勧めしたい本だ。

 著者のメレ山氏は、会社員として勤めるかたわら、ブログで旅行記を発信したり、自然科学系のコミュニティでイベントの企画・運営を行ったりしている。
 本書はメレ山氏が西アフリカ・ガーナで自分用のオーダーメイド棺桶を作ることを思い立ち、クラウドファンディングで資金を集め実際に作成するまでの話と、その棺桶を中心に据えた(棺桶は棺桶としての本来の使い方をされるまで、リビングでローテーブルとして使用される。一体どんな棺桶なんだ? と興味を抱いた方はぜひ本書を開いてみてほしい)、「自分なりの心地いい居場所」を求めて、古いマンションをリノベーションし理想の住まいを手に入れるまでの話をメインに構成されている。
 これだけ聞くと著者はとても行動力のある人で、自分には到底真似できない、と思うかもしれない。しかし、ガーナで棺桶を作るのは特殊事例だとしても、そのほかに挙げられたひとつひとつの出来事、小さな「旅」は、もしかしたら自分の中にもその種が眠っているかもしれないと思うことができるようなものばかりだ。
 何か大きなことを為さずとも、ひとつひとつの「心地いい行動」を重ねていった先に理想の暮らし、理想の人生がある。そう思えることは、先の見えない時代において大いなる救いになるかもしれない。
 ではそのさらに先、理想の人生の終わりとは? どんな風に自分は人生の幕を下ろし、「死んだ自分」はどんな風にその先へと繋げられていくのだろうか。それが「メメントモリ」である。

 生と死は地続きである。その間にあるものが旅であると、私は思う。
 メメント・モリ(死を想え)とは、元々は「よく生きろ、明日死ぬかもしれないのだから生きているうちに楽しめ」という意味だったという。
 これはどうせ死ぬのだから今を楽しもう! という諦めを孕んだ楽観ではなく、死が避けられないからこそ生きている今が輝くという考えだ。
 生きているからこそ何かをしなければならない、こうあらねばならないと雁字搦めにされるのは苦しい。だから考え方を転換する。避けようのない死に向かって歩む旅路をいかに心地よく、楽しいものにしていくか。それは目的地だけを定めて、細かな道程をその日任せにする旅の計画にも似ている。そのとき、その出会いに合わせて都度考え、偶然の遭遇を心から楽しみ、そしてぼんやりと「旅の終わり」、つまり死を想う。そういう風に考えられるようになったなら、そんな思考を楽しいと思えるようになったなら、日々の重力は軽くなり、この身体は地面を離れてふわりと飛び立てるはずだ。


 お金の不安と同じくらい、寂しさを恐れている。年を取るほどに体も気も弱くなり、愚痴が増え、人を惹きつける部分が減っていくとしたら、今でも時折感じる寂しさはどんどん苛烈になっていくだろう。でも、ひとりでも楽しいという気持ちは忘れたくない。ひとりでも十分楽しめる人間が、人付き合いが苦手なままでも、強烈な才能がなくても、ふたりや3人や大勢の人と共にあることを楽しむ方法を、これから探していかないといけない。

 東京に出てきてからも、ここだけが自分の居場所だとは思いたくない。日本や世界のいろんな町で暮らす自分を、毎日のように想像する。土地や人情に縛られ、動けなくなることを過剰に恐れている。
 でも、こうして都会で気ままに暮らして休みのたびに遠い土地に行って、そこに根を張って暮らす人たちを見るたびに、捨ててきた町を思い出して動揺してしまう。平然と構えているためには何かが足りないことを、自分自身がいちばん分かっている。(作中より引用)


 どこかに落ち着くことと旅をすること、どちらも自分の人生だと思えるようになれたらいい。自分なりの心地いい居場所から、さあ次はどこへ行こうか、と常に楽しく考えていられるような人生に。
 そこにはきっと終わりの意識もついてくるのだ。終わらない旅などないと知ることが、旅のはじまりなのかもしれない。